権力のチェック機構と不要な規制と自由主義

権力を行使される側からの「チェック」を行使する側に付き返せないと、行使する側は自由に行使される側を支配できてしまう。

 

例えば、中学・高校で、校則や指示が厳しい!というのもこの1つであり、これも、権力を行使する側(教師側)に対する拒絶を、保護者や地域社会の大人から突きつけることは出来ても、権力を行使される側の生徒から「NO」を付き返せないことが原因。(生徒会は教師側の傀儡組織であることがほとんど)

 

付き返せない理由である「判断力が不十分だから」というのはまさしくその通りで、現在の状態で生徒側から教師側を取捨できるようになってしまうと…

「2世代前の××世代は、教育内容をゆるゆるにした結果、何も高度な生産活動をできず、貧しい世代になった」とか「学校(教師側)の締め付けを不可能にした結果、規律が養われず、軍隊が激弱になって滅んだ」

…となるのは目に見えている。

 

しかしながら、権力を行使される側からのチェックの仕組みがないがために、教師側が良いと思う(かつ、保護者や地域社会が特に悪いと思わない)ことを好きなように強制できてしまう。

この権力を悪用して、本来は必要のない規制を強制できてしまっているのだ。

 

生徒側から教師側(権力側)をチェックすることができれば、そうした事態を防ぐことができる。先述したような失敗が一度は起こると思うが、そうした、かつてどのように失敗したかを示す「歴史」があれば、最終的には最適な状態へと進める。(被支配者自決)

 

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ところで、権力のチェック機構がない状態下の権力機構(教師陣)は、不要に(支配層がよいと思う)規律を課してしまうが、一方で、西側諸国では自由主義がもてはやされ、冷戦に大勝利した。

なぜ自由になると(主に生産力の面で)よいのだろうか。