衰退は悪いことではない

衰退は構造の結果なので、携わった人に非がある訳では無い




地方でバスの値上げが続いている。

塩野七生さんのローマ人の物語では、終わりの方では、かつて100万人以上が暮らしたローマが、数万人の都市と化す経緯が書かれている。

ローマは奴隷制に立脚した経済だったが、弱者に歩み寄りを行った勢力、ここでは、「キリスト教徒はキリスト教徒に奴隷にされない」「貧者への施し」を行ったキリスト教が国で覇権を取り、かつての経済構造を破綻させ、衰退へと至った。



現代日本の地方都市に話を戻すと、地方都市が興隆したのは、1850~2000年まで、欧州東亜の国々がもたついて、工学教育・工業への投資ができず、最先端の輸出できる製品(自由財)を作れず、それらの生産を日本が一手に引き受けていたからであった。

つまり、過去日本は世界中相手に製品を売ることが出来る立場であり、それ故に日本の都市もスペシャルに興隆したのだった。



しかし、2000年以降は欧州東亜ももたつきをなくし、普通に日本が作れる製品を作れるようになっていった。地方都市の衰退も、それら欧州東亜の「追いついた」国々の街と平準化されて行っているというだけの事。

このように、興隆も衰退も構造要因がほぼすべてなので、各場面に携わった人がラッキー・アンラッキーということはあっても、えらい・だらしないということは無い。



では、最終的に「衰退」はどこまで行き着くかというと、地球全体で暮らしが一様なのが最終状態として適切な気がする。次回は「地球35億番目の人の暮らし」がどんなものかを見ようと思う。

権力のチェック機構と不要な規制と自由主義

権力を行使される側からの「チェック」を行使する側に付き返せないと、行使する側は自由に行使される側を支配できてしまう。

 

例えば、中学・高校で、校則や指示が厳しい!というのもこの1つであり、これも、権力を行使する側(教師側)に対する拒絶を、保護者や地域社会の大人から突きつけることは出来ても、権力を行使される側の生徒から「NO」を付き返せないことが原因。(生徒会は教師側の傀儡組織であることがほとんど)

 

付き返せない理由である「判断力が不十分だから」というのはまさしくその通りで、現在の状態で生徒側から教師側を取捨できるようになってしまうと…

「2世代前の××世代は、教育内容をゆるゆるにした結果、何も高度な生産活動をできず、貧しい世代になった」とか「学校(教師側)の締め付けを不可能にした結果、規律が養われず、軍隊が激弱になって滅んだ」

…となるのは目に見えている。

 

しかしながら、権力を行使される側からのチェックの仕組みがないがために、教師側が良いと思う(かつ、保護者や地域社会が特に悪いと思わない)ことを好きなように強制できてしまう。

この権力を悪用して、本来は必要のない規制を強制できてしまっているのだ。

 

生徒側から教師側(権力側)をチェックすることができれば、そうした事態を防ぐことができる。先述したような失敗が一度は起こると思うが、そうした、かつてどのように失敗したかを示す「歴史」があれば、最終的には最適な状態へと進める。(被支配者自決)

 

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ところで、権力のチェック機構がない状態下の権力機構(教師陣)は、不要に(支配層がよいと思う)規律を課してしまうが、一方で、西側諸国では自由主義がもてはやされ、冷戦に大勝利した。

なぜ自由になると(主に生産力の面で)よいのだろうか。